針谷 広己 (2014年 普通科卒)
2014年3月に附属高等学校を卒業しました針谷広己と申します。現在は、長崎県対馬市役所保健部北地区保健センター(対馬市地域包括支援センター)で社会福祉士をしております。
同窓会には中々顔を出すことができていませんが、こうして執筆依頼をいただき、感謝申し上げます。コロナ禍が落ち着きつつある今日この頃ですが、皆様いかがお過ごしでしょうか?
私は八王子市出身で2008年4月に附属中学校に入学し、中高6年間を工学院で過ごしました。当時の同級生やお世話になった先生方には直接ご挨拶申し上げることができていませんが、変わりなく元気にしております。
さて、そんな私ですが、現在は長崎県の離島・日本で一番韓国に近い対馬(つしま)にいます。「東京からどうして対馬に?」といつも色んな人から聞かれます。対馬への移住の背景は大学時代にあります。大学では、地域での人同士のつながりや社会資源を作る地域福祉を専門に学びました。当時は社会福祉士の国家資格取得を目指し、さらに日本や世界各地の社会問題を議論する団体で活動していました。しかし、机上の学びだけでは福祉を志す人間として経験が足りないと感じ、大学3年時以降は子ども食堂や社会的養育の当事者活動に力を入れました。地域で出会う方々の声に直接耳を傾けていくと、次第に農村・離島に住みたいと思うようになり、そこで見つけた場所が対馬でした。
この対馬との出会いは、中高時代の自由な学校の風土の産物だと感じています。特に中学校3年時のオーストラリアでのホームステイでは、日本以外の多文化に触れる経験になり、海外や日本の他地域に目を向けるようになりました。韓国に一番近い場所にいることも運命だったのかもしれません。
その後、対馬市社会福祉協議会の実習と卒業論文の現地調査を経て、2018年4月に対馬市役所に入庁しました。入庁後は、社会福祉士として高齢者の方々の医療・介護・福祉全般の相談を受ける業務に携わっています。
また、中高時代に学んだ社会を自由に動き回る姿勢を持って、業務外では、対馬島内の様々な地域活動に参画し、いくつもの草鞋を履きながら日々を過ごしています。
hatobaという屋号で元パチンコ屋の空き家を借り上げて地域イベントや夜通しの飲み会を開いたり、消防団活動や「貝口ビアパーク」というみんなの居場所づくりだったり、朝鮮通信使の行列再現などの歴史を伝える活動だったり、多様なものになります。入庁1年目から「市役所の中の世界に留まっているのは良くない。」と感じた私は、市役所の外の世界へ出ていました。土休日返上で活動すると、市役所の中にいても知り得ない、地域への熱い想いや一方で地域が直面している課題、地域のリアルを学ぶことになります。活動では、同じく公務員や自営業を営む方、民間企業に従事する方々に出会いました。彼らは地域の隠れたヒーローで、各々の日頃の仕事や生活がある上で、+αの活動に携わり、地域を支えています。消防団では、仕事や家庭を持ちながら、サイレンが鳴れば出動する、毎月1日の定例訓練に欠かさず参加する姿があります。貝口ビアパークは地区で暮らす方々が中心となって開拓した耕作放棄地と海辺を対馬島内外の多世代に使ってもらい地域活性化につなげる活動で、そこには地区の魅力を再発見する姿があります。その一方で、時には日頃の行政への不平や不満を言われることがあります。同じ立場で汗をかくから聞ける本当に泥臭い話ですが、決して不平や不満だらけではありません。私のような1人の公務員が傾聴するだけでも十分なことで、「お前は変わったやつだな。」「話を聞いてくれてありがとう。」「応援してやるから頑張れよ。」と言ってもらえて、私にとって大きなモチベーションになっています。それに、多種多様な隠れたヒーローたちから、私自身ももっと日頃の業務を頑張らないととエールをもらっています。
これまでの対馬での暮らし、地方公務員・社会福祉士として地域と向き合う姿勢が生まれたのは、工学院中高で過ごした6年間が大きかったと思います。今後も中高6年間の経験を糧に地域がもっと明るくなれるよう生きていきます。母校には中々顔を出すことができていませんが、今後も何らかの形で恩返しできればと考えておりますので、今後もよろしくお願いいたします。