新宿での 「ホームカミングパーティー」に参加して

小林 榮二 (1961年 機械科卒)

懇親会(ホームカミングパーティー、HCP)に初めて参加させて戴きました。私は、1961年(昭和36年)に機械科を卒業しました。現在、傘寿を過ぎて横浜に在住しています。参加者の中では最高齢のようですが、まだまだ頑張りたいと思います。

以前は新宿でクラス会が開催されていましたが、久しぶりに新宿にまいりました。HCPの前に高校時代よく映画を見に来ていた歌舞伎町に立ち寄ってみましたが、コマ劇場も無くなりゴジラがいたり、高層ビル群が乱立して昔の面影もなく寂しいかぎりでした。

HCP会場は若い皆さまの参加が多く活気があり、とても良い雰囲気でした。今回はクラス会の五十嵐功さんに誘われて参加しましたが、当日はクラス会のメンバーが5名ほど参加され、安否確認や病気の話に花が咲いて楽しいクラス会になりました。また、抽選で「トックリとオチョコ」セットが当たったので、正月は美味しいお酒を飲むことができました。

ところで、我々の1960年代にはケネディ大統領の暗殺事件がありましたが、それを予言したような逸話があります。1961年当時、担任の外山昭二先生が「過去の歴史を見ると、ゼロが付いた年に選出された大統領は暗殺されることがある」と話していました。それも大統領任期中に、と。ケネディ大統領が選出された年は1960年で最後にゼロが付いています。実際に話を聞いた2年後の1963年に同大統領は暗殺され、私もビックリした記憶があります。

また国内では私が高校1年(1959年)の時に皇太子(現在の上皇陛下)の御成婚があった時代でした。当時私は原宿に住んでいて、神宮外苑で町内会の皆さまと共にゴザを敷いて待ち構えていましたが成婚のパレードに皆総立ちとなり、ものすごい熱気でした。

同窓会と言えば、私の入社した会社にも工学院卒の諸先輩がいました。1961年当時、機械科と電気科から私たち4名が入社した際、ある先輩が気づいて社内の同窓生を探し出し、その方々から歓迎会をして戴きました。それがきっかけで社内に同窓会が作られ、工学院の先輩が経営している熱海の旅館で毎年交流を深めてまいりました。高校が新宿に移転する前は築地に校舎があったので、築地卒と新宿卒の先輩が入り混じっていました。その会社には今年も2名の方が入社されたようで、同窓会は続いていると思います。

私は入社5年目に偶然、先輩が上司になりました。それで一緒に出張に行ったり正月は先輩の自宅でマージャンしたり、ゴルフなどして公私ともにご指導を戴きました。各部署に諸先輩や後輩がいることで依頼した仕事などがスムーズに運び、同窓生は大変良いものであると今も感謝の思いです。

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